2010.10.11 Monday
見たら原作を読んでください―ジュリア・ロバーツ主演・映画「食べて、祈って、恋をして」原作エリザベス・ギルバート
評価:
エリザベス ギルバート 武田ランダムハウスジャパン ¥ 940 (2010-08-10) コメント:ジュリア・ロバーツの映画「食べて、祈って、恋をして」を観た人はぜひ、読んでください。 |
評価:
Elizabeth Gilbert Penguin Group (USA) Inc. ¥ 764 (2010-07) |
JUGEMテーマ:恋愛/結婚
「なんだかわからない!」有楽座という美味しいにおいのする映画館を出る時、私のうしろを歩く女の子がつぶやいていました。
「なんだかわからない!どうして、ああいう結末になるの?」
映画をみた感想を一緒に見たお友達に話している、よくある光景です。
別のグループの女性がいいます。
「あの展開だと、あそこでああなると思わないけど…」
と大きな声で話しています。
原作を読んでしまった私は心のなかでつぶやきました。
「あのシーンとラストシーンの間には長いエピソードがあるんです」
この先の話はストーリーの結末を想像させますので一番最後に書きます。
映画を見ていなくて、「私はカンがいいわ」と思う人は文末の緑色の行は読まないこと。
小説や史実を映画やドラマにするとどうしても原作とのちがいが気になりますね。
司馬さんは「私は私の原作の映画やドラマは別の作品だと思って楽しんでいます」
と、書いているけれど、そう思います。
映画を見たひとは原作を読むことをおすすめします
見てから読むか、読んでから見るか、とは私が学生の頃、流行った「八つ墓村」とか「セーラー服と機関銃」とか角川映画と角川文庫のキャッチフレーズですが、「観たひと」は読むと謎解きができます。
映画を見ていない人、原作を読んでいない人に映画の感想や感動を伝え、しかも、結末がわからないようにしゃべるのはむつかしい。
でも、なんとかやりましょう。
最初の10章。映画では見えないリズのこころ
ストーリー展開について申し上げます。原作を踏襲して、場面はニューヨーク→バリ→ニューヨーク→イタリア→インド→バリと展開します。
ニューヨーク編
リズと夫との離婚、若い恋人デービッドとの関係が語られます。
リズの離婚にいたる内的葛藤。神様との会話。これは映画ではわかりません。でもこれをわかってほしい。
ニューヨークのシーン。ダンナと暮らしていたときの生活と恋人デービッドとの同棲生活。このコントラストがアメリカ社会を知らない映画でよくわかります。原作で見えない側面がわかりました。
30代後半の女性作家と20代の青年の同棲が周囲からどのように見えるか、は、映像化するとよくわかります。
もう一つは彼女の生い立ち。WASP(White Anglosaxon Protestant)。東部の中産階級。他のマイノリティから見るとうらやましい生い立ちをリズがどう考えているか、これはタブーなのかもしれません。映画からは読み取れませんでした。
イタリア編
イタリアではイタリア語を教えてくれる気のいいイタリア青年ジョバンニやスウェーデン娘ソフィーとの交流を通じて、イタリアを楽しみます。
ローマの美しさ。猥雑さ。ジョバンニとの逢瀬の舞台装置としてのローマ。リズとジョバンニが新宿で会ってもローマの逢瀬のようにはなるまい、と思いました。映画は私の想像の中のイタリアを越えて美しかった。
ルカ・スパゲッティ(かわいいオジサン)サッカーに熱くなるローマっ子のののしり言葉。原作を読んだ人は「ここがそれなのね」っと楽しめます。
インド編
映画ではムリだった
主人公のリズはイタリアからインドのグルのアシュラムに行きます。アシュラムの雰囲気は私が行ったことのあるところと比べてあんなものです。
細かいことを言えばヒンドゥー教のアシュラムでは男女がいりまじって瞑想したり食事するというのはインドでは、ない…まあ、いいか。
彼女はアシュラムで瞑想して雑念が多くてうまくできない。これは描写されてます。
しかし、これは瞑想をハスッパに初めてしまった人だれもが経験することです。
それより、彼女が瞑想を通して、それこそ別れたダンナのこと。恋人のデービッド。さらには彼女の生い立ち、全人生にわたる内面的な苦しみ、悔恨にうちのめされのたうちまわるところは映画ではヤッパリ無理でした。ありません。やれば朗読劇になってしまうでしょう。
原作ではグルギーターというヒンドゥー教の神様の名前を詠唱する修行で彼女はものすごく苦しみます。これもありません。
テキサスのリチャードはリズが内面の苦しみをぶつける一緒に考えてくれる人物です。
リチャードとの会話を通してさっき「映像化は無理」といったリズの内面を描こうとします。
映画はこれをかなり押さえた表現にしています。原作のままやると宗教色にアレルギーを感じる人もいるからでしょう。ここがポイントなんです。
背景となるインドはイタリアと一転して現実でした。
16歳のアレンジドマリッジ。
原作を読んだ人(私)は…
読んでから観た、私はインドのアシュラムの様子や一緒に床磨きした少女やテキサスのリチャードの顔が見えて(リチャードはいいねえ)
バリ編
バリではメディシンマンのクトゥというおじいさんとヒーラーの女性ワヤンのスピリチュアルな世界が描かれます。クトゥの暗示やワヤンの一言。プロテスタントの宗教観に育ったリズには新鮮だったのでしょう。
一方、バリの享楽のシーンも。
背景となる海。水田。美しいバリ女性。水田がこんなにきれいだとは。
バリのヒンドゥー教の儀式にリズはなにかを得るんですが、映画ではほとんどありませんでした。
クトゥがリズにしめしたテーマはバランスです。
バランスをリズはどうするんでしょうか。
原作のイメージが壊れるか。見ない方がいいか
私のこたえはイエスそしてノーです。
映画を原作の映像化と思う人は、リズの内面が描ききれてないので、見ない方がいい。
ぜんぜん違う!と怒るでしょう。現にNPR(National Public Radioアメリカの公共放送)の映画評論家がメッチャクチャに批判記事を書いています。
Linda.Holmesのブログ
http://www.npr.org/blogs/monkeysee/2010/08/16/129227754/what-went-wrong-with-eat-pray-love
映画は原作の一部。そう、挿絵あるいはグラビアと思うと、イタリアの明るさ、重厚さとニューヨークののおもくるしい生活との対比。
バリの水田がきれいですね。水田は観光資源になるんだ、と思いました。
この作品は映画は原作の補完的なものだ、と思えば観たほうがいいでしょう。
先に観てしまったあなたは読んでください
アメリカではベストセラーで読んだ人のほうが多いので映画化されたのですが、日本では映画を観た人のほうが多いのでしょうね。
私は原作を読んでか映画を心待ちにして、「うわー来た!」と観に行った口なので、映画を見て原作を読んでいないひとの気持ちは想像するしかないのですが、
映画で見るリズの心の変化や行動は彼女の瞑想や祈りを通じての自己や神との会話に裏付けられています。原作はそれに沢山のページを費やしています。
人間の内面の映像化はむずかしい。だから、映画をいきなり見た人は「なんでこういう展開になるの?」という疑問がでるんだろうな、と思います。
そういう意味では自己完結していない映画といえます。が、それでも私は見てよかったと思います。
文庫も出ましたし、リズ・ギルバートの世界に乗りかかった船と思って、原作を読んでください。
アメリカでベストセラーになりニューヨークタイムズなどの書評でほめられた本です。それだけのことはあります。断言します。
あるラジオ番組の映画評にむっと来た
自分の書評を他人にこき下ろされるとヤッパリつらいです。だからひとの評論を批判したくないんです。でも、プロのくせに見たり読んでないで批判しているひとがいるみたいなので一言書きます。