「土曜ワイドラジオ東京 永六輔その新世界」というラジオ番組が大好きである。東京のTBSラジオで毎週土曜日朝の8時半から午後1時まで生放送である。
永六輔さんと外山惠理アナウンサーをメインに鎌田実さん、大橋巨泉さん、きたやまおさむさん、ピーコさんなどひとくせもふたくせもあるゲスト陣がユニークなトークを繰り広げる。
以前にも紹介したがスポンサーがNTTドコモのコーナーで「ボクは携帯はきらいだ。あんなもん必要ない」と公言する永六輔はえらい。そして、それでもスポンサーを続けるドコモもえらい。
前回2011年2月12日の放送では豊竹咲太夫さんを相手に相撲談議。八百長発覚でも本場所も巡業も続けるべきだ、という意見でふたりは一致した。
その中で永六輔さんは自分が砂かぶりで力士が八百長するのを見たという話を披露した。
取組中に力士の片方が
「もっと押せ。ほらもっと強く」
と相手の力士にささやくのを聞いた、というのだ。
永さんは、昔から人情相撲というものはあった、一生懸命けいこしている力士にご褒美に横綱が星を譲るということはあった、と八百長だから相撲はだめだ、というものではない、という話をしていた。
石原慎太郎知事 相撲の八百長は当たり前と発言
八百長を奨励するわけではないが相撲には昔からそういうものはあった、当たり前だ、と踏み込んだのが東京都の石原知事である。
以下、朝日新聞東京地方版の記事を引用する。(改行は筆者。)
石原都知事 発言から
朝日新聞 2011年2月8日朝刊 34面 第2東京 都区内の紙面より
大相撲の八百長
―大相撲の八百長について。
「あんなもの、昔から当たり前のことであったんだよ」
「これからの一番、八百長でございますっていう、報告してやるわけじゃあねえんだから、
だまされて見て楽しんでりゃいいんじゃないの。そういうもんだよ、相撲ってのは元々、私が知ってる限り。
だから今さら大騒ぎするのは、私に言わせると、何ていうかな、片腹痛いというか、世間も随分ものを知らなくなったというか。
ばれてしまえばだな、やっぱりそれはいかんということになるだろうけどね。ま、笑って目をつぶってろとは言いませんよ。
しかし、何か日本の文化なり伝統というのを踏まえた、日本の文化の神髄である国技だというのは、ちゃんちゃらおかしいわな」
石原知事が例のべらんめいで青字の部分のようなことをいっきにまくしたてたように読者は思うだろう。
しかし、実はこれは記者が恣意的に抜粋したものであることが下記の東京都庁のWebサイトの記者会見の速記録を読むとわかる。
東京都のwebサイトより
石原知事定例記者会見録
平成23(2011)年2月4日(金曜)
http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/TEXT/2011/110204.htm
【記者】話、変わってしまうのですけれども、今、大相撲の世界で、八百長がメールで発覚したということで騒ぎになっていますが、知事はどのようにごらんになっていますか。
【知事】あんなもの、昔から当たり前のことであったんだよ、本当に。
僕は、まだ物書きだけの頃、西日本新聞の大隈(秀夫)さんという東京の支局長がいて、この人は後に評論家になって、大宅壮一の一門になりましたが、あの人が隣の鎌倉に住んでいて、電車で会っているうちに仲よくなって、あの人の特権で記者席によく連れていってもらった。
記者席というのは、検査役(勝負審判)のすぐ後ろなんだ、2列あって。そこでみんな、見ていると、誰とは言わない、八百長やっている人間は、
*1「早く押せ。ほら、押せ。押せ、ばか。何やっているんだ」「うんうんうん」と言いながら、もう力のない横綱とか大関が頼んでいても押し切れない。
「早く押せ」、記者が皆げらげら笑って見ていたんだ。その時に金動いたかどうか知りません。私は、そういう経験があったもんだから、
あえて言うけれども、*2大鵬と柏戸と、柏戸が1場所休んで、出てきた時に、全勝優勝するかしないか、最後に大鵬との時に、非常におかしな負け方を大鵬はしたんで、そのことを、私、書いたら問題になった。
あの時、理事長が元の双葉山の時津風で、その前の理事長の出羽ノ海が国会に呼ばれていって、偽証しちゃったんだ。それがばれて、お茶屋の問題とかなんかで、責任感じて、切腹しかかって助かったんだけれど。
その後だったんで、双葉山の故郷の有名な、名前言わないけれど、右翼の大物が、僕のことをけしからんというんで、切るとか殺すとか言う。
その時に、大分評判になって、あの「大映のラッパ」と言われた永田雅一さん、あの人は相撲に非常に詳しかった。
それから、横綱審議委員の舟橋聖一さんが心配して電話かけてきて、「君、こんなこと改めて言うな」と。
「当たり前の世界なんだから。」舟橋先生はそれが「もののあはれ」なんで、それを一々言わない方がいいよと言われたんで、そんなもんですかなと。
ただ、私は、私が言及したあの1番について、一種の片八百長かなと思った。後になったら、「週刊何とか」というのが、あの問題取り上げて、お金が動いたという話じゃないですか。
どこまで本当か分からんけれど。だから、歌舞伎の大見得を堪能して見ているみたいに、これからの1番、八百長でございますという、報告してやるわけじゃないんだから、だまされて見て、楽しんでいればいいんじゃない。そういうもんだ、相撲というのはもともと、私が知っている限り。
だから、今さら大騒ぎするのは、私に言わせると、片腹痛いというか、世間も随分、物知らなかったというか。ばれてしまえば、それはいかんということになるだろうけれど。
笑って目つぶっていろと言いません。しかし、それが日本の文化なり伝統というのを踏まえた、日本の文化の真髄である国技だというのは、ちゃんちゃらおかしい。
私は、それ知っていたから、東京都知事というのは歴代、横綱審議委員になったらしくて、鈴木(俊一)さんの後、青島(幸男)君は逃げちゃったみたい。私も、2度ほど言われましたけれども、固辞いたしました。ならなくてよかったと思います。どうぞ。
<引用終わり>
<朝日の記事と会見記録のちがい>
お読みになってわかるとおり青字の部分が朝日新聞の記事である。当たり前のことといった後相当の部分を省略している。
記事だから全文を掲載できないのは当然だが石原さんが話したキモの部分を意図的に省略している。
*1の太字の部分である。石原さんは西日本新聞の大隅秀夫支局長と記者席で相撲を見ていたところ、永六輔さんの話と全く同じような八百長相撲を目撃したのである。
それを記者が皆げらげら笑って見ていたんだ。というのである。
<相撲記者クラブの記者は八百長を知っていた>
石原知事のいうとおりなら、相撲記者クラブの記者は八百長が行われているのを知っていて問題にするどころかただ笑っていた、ということになる。
*2の太字の部分。石原さんはそのことを新聞に発表したところ、元双葉山の時津風理事長と同郷の右翼の大物から「切るとか殺す」という、といわゆる圧力がかかった、というのだ。
石原慎太郎という気鋭の作家が記事にして右翼が乗り出す騒ぎになったのだから、「オレも見た」といっしょに見ていた記者が石原氏をフォローする記事を書いたとか、という話は出ていない。
つまり、相撲記者たちは八百長を知っていたし、問題視しなかったということだ。
<相撲記者は「八百長なんか当り前だ」、と正直に言え>
永六輔さんや石原知事が見た八百長が相撲記者にとっては当たり前である、というのなら、相撲にはそういう人情相撲のようなものは昔からあったし、珍しいことではない、と書くべきではないか。
なのに相撲記者たちは今回の事件で初めて知ったようなことを書いている、のはおかしい。
<石原知事の発言に記者は立場をなぜ、明確にしない>
もうひとつは、石原知事があえて記者会見で持ち出した相撲記者クラブの記者たちの「ゲラゲラ笑って見ていた」ところをこっそり省略して「なかった」ことにしていることに記者たちへの不信を禁じ得ない。
会見記録で石原知事は新聞記者は八百長相撲をみてゲラゲラ笑っていた、と明言した。
八百長相撲を非難する立場にあるならば、石原氏は「新聞記者が看過していた」、と言ったのだから
先輩記者の名誉のためにも、
「知事!それは本当ですか?裏付けがあるのですか」
、と追及するなり、
「そのような発言は相撲担当記者の名誉を傷つけるので断固抗議する」
、と抗議の姿勢をとるべきではないか。
しかし、都庁クラブの記者たちはは全く反応せず、スルリと次の話題に行ってしまった。
上杉隆さんは大新聞やテレビの記者は記者会見では肝心なことを聞かず、発言しないで記事を書いている、といっているが会見録を読むとそれがよくわかる。
それだけではなく肝心なことを聞きながらあえて報道していないことがわかる。
それを検証する手段として、記者会見の記録が各省庁や都庁のwebサイトにあるので読まれることをお勧めする。
外務省 前原外務大臣会見
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/gaisho/g_1102.html#3-B
総務省 片山総務大臣記者会見
http://www.soumu.go.jp/menu_news/kaiken/02koho01_03000165.html
大阪府 橋下徹知事の記者会見
http://www.pref.osaka.jp/koho/kaiken/20110202.html
名古屋市 河村たかし市長の記者会見
http://www.city.nagoya.jp/mayor/page/0000020665.html
<参考>
石原知事のいった大鵬・柏戸の八百長相撲騒動とはこのことらしい。以下引用する。
Wikipedia 柏戸 剛
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%8F%E6%88%B8%E5%89%9B
より引用。
「柏鵬時代」も本格的に展開するとみられていた。
ところが昇進後は怪我や病気で休場続きで、4場所連続の休場から再起をかけた1963年9月場所には解説玉の海の「柏戸に勝たせたいねえ」の声が聞こえたか大鵬との千秋楽全勝決戦を制して全勝で昇進後初となる2度目の優勝。
これ以上はない見事な復活に日本中が感動し、柏戸は支度部屋で号泣した。
だが、この取組をみた石原慎太郎が、新聞に八百長の疑惑を寄稿した。
大鵬自身はビデオを見て自分の驕りだったとは感じたが勿論激怒し、時津風理事長の問いに対し「絶対に八百長はやっていない」と断言した。
これを受け、協会は石原を告訴する準備をした。この件は石原側が謝罪する事で和解した。ただし高鐵山は後に自著『八百長』の中で石原発言を支持し「初めて大掛りな注射相撲をしたのが柏戸さん。」と記している。皮肉にもこの件で大鵬と柏戸の仲は良くなった。
<引用終わり>